タウイタウイに降る五月雨

艦これやNEOなめこのプレイ日誌的なブログ。デジモノ全般を扱います。

友達5000人できるかな

Facebookの友達の上限は5000人だそうです。

私の友達の数は毎年約100人ずつ増えているので、単純計算で50年かかるわけですが、私の友達で最も友達の数が多い人でも1200人強なので、友達5000人というのがいかに途方もない数字か分かります。

 

自分やその周辺の人達のFacebookでのトラブルの大半が、「友達の定義はどこまでか」というものに由来している気がします。「あまり親しくない人から申請が来た」という愚痴もよく聞きますし、逆に「友達だと思って申請したらマジギレされた」という話も聞きます。

 

私はどうかと申しますと、確かに現実世界における「友達」とFacebook上の「友達」は定義が違います。

例えば「先輩」。現実世界においては先輩はどれだけ親しくても「友達」ではありませんが、Facebookでは「友達」です。恩師とかもそうですね

 

でも、先輩にせよ先生にせよ、現実世界の「友達」(多くの場合「同輩」と同義語)と同じだけの"親しさ"があれば、そう問題は起きないと思います。

例えば部活動で、一緒に夢を追いかけた「同志」という意味では後輩も同級生も先輩も先生も同じですからね。……単に、私の所属していた部活の上下関係がそこまで厳しくなかったからかもしれませんが。

 

それより問題になるのは、"親しさ"が違っていた場合。つまり片思いです。

私はどうも記憶に残りやすい人間らしく、Facebookビギナーの元同級生(主に高校時代)からやたらと申請が来ています。中にはこちらの記憶にない人もいて、確認のためにMessergeを送ると「名前はよく覚えていたけど若狭屋Xさんと一緒に何かした思い出はない……」とか言われてしまうこともあります。

まぁ私も鬼ではないので、母校と学年が同じであっておかしな言動がなければ基本的に承認してしまいますが、これもある意味で片思いでしょう。

 

ところがこれが小学校や中学校時代の友達となると大変です。

あの頃は本当に親しいと思っていたのに忘れ去られたとか、実はその「親しい」という認識そのものが勘違いだったとか、大学デビューしたから昔の友達は捨てたいとかいうことが友達申請したことが原因で露見してしまったりすると、精神的にショックが大きいわけで……。

 

私は、友達の数は基本的に"その人の「友達」の定義の緩さ"を示していると思っています。勿論多くの人と出会う立場にある人とそうでない人、あるいは交友関係におけるFacebook使用率の高さも大いに関係がありますが、経験則から言っても友達の数が多い人の方が申請も通りやすいですし。

 

「量は質を担保する」とは言いますが、Facebook上では果たして担保しきれているのでしょうか。

 

そういえば「1年生になったら」という有名な歌がありますが、私の通っていた小学校は全校生徒が当時500人ぐらいで、そもそも1年生は80人ぐらいしかいなかったので、1年生だけで100人友達を作るのは物理的に不可能という壁にぶつかったことがありましたっけね。